メッセージ 心のお話

SNSはなんで他人を貶める書き込みばかり流れて来るんだろう?ということを考えてみた

 

先日、ツイッターをボーッと眺めていたら、驚くほど、他人のことを貶める言葉ばかりが流れて来た。

中には、誰かのことを晒し、それがどんどんシェアされたり多くの非難コメントが集まったりして、集団いじめのようになっている光景が広がっていたりもした。

なんか最近も、ツイッターで炎上させてしまった女性がいるようだけれど、コメントは非難の嵐だよね。

こんなに……?と、見ているのがしんどくなるほどで、思わず画面を閉じてしまうくらいだった。

今年はそんな投稿を例年より、ずいぶん多く見る年になった気がする。

そこで、なんでSNSってあんなに貶める投稿や言葉が多いのかなぁって、ちょっとじっくり考えてみることにした。

 

書きたくなる心理、書いている人の状況や心理……色々考えた。

正直言って、それを書く人の気持ちもわからなくもない。
私も過去、そんなことを書いてしまったことがあるし、集団いじめのような状況のところに乗っかってしまったこともある。

でも、ふと気づくきっかけがあり、そういうことをやめようと思ってから、そういうことは書かないように気をつけて来た。

 

自分が気をつけるようになると、尚更、そういうのが目についてしまうのかな。
そしてとってもとっても落ち着いて考えた。

そして色々考えた結果、

他人にダメ出しする投稿が一番簡単なんだ

ということに気がついた。

 

誰でも、何かにカチンと来ることはある。
不快になること、嫌だと思うこともある。

それを文字にして表現しようと思ったとき、そのことをそのまま書いて、自分が一番正義のような投稿をするのと、そのことについて傾向や対策みたいな感じで書くのとでは、後者の方が絶対に大変だということに気づいた。

だって、その改善策を考えたり、読んだ人が参考になるなとプラスに思えるようなことをひねり出さなければならないのだから、湧いた感情そのままにすぐ書くことはできない。

 

でも、見たもの、聞いたものを感情そのままに……

人が傷つこうがどうしようがおかまいなしに、人を貶めて自分は正義だと、自分は正論なんだと自分の感情を垂れ流しのように書くのって、瞬間でできるのよ。

今の流行りの言葉で言えば「秒で」できる。

 

ツイッターは匿名の人も多いから、Facebookよりそういう投稿が本当に多い。

でも、明確な正解のないものについて「こういうことやる奴ってバカじゃね?」とか、「これって間違ってるんだよ」と書いているその正誤のラインってどこにあるんだろうね?って思うんだ。

明確に正解のないものについては、その人その人にとっての正解っていうのがあるんじゃないかな。

「その感覚間違ってるよ!」って言っている人が、もしかしたらどこかでは、間違っていると思われているかもしれないよ?

 

冷静に考えて、そんなことに気づいたときね。

私は誰でもできる簡単な投稿はしないようにしようって思ったの。

だって、他人を貶めて自分の感覚が正しいと声を大にして言っても、実は「誰でもできる簡単な投稿しかできません」って見せているってことになってしまうでしょう?

それは恥ずかしくてイヤだなって。

 

自分がSNSで発信しているのは何故?と考えたら、人を貶めて自分の立場を上げるためじゃないでしょ?
自分の思いとか考えを発信するためだよね?

確かに世の中、SNSじゃなくても「それ違うでしょ」って思うことはある。
それを言ったり書いたりしたくなることもある。

だったらそれを発信するときは、
「こういう時はこうするといいですよ。こうすると皆が気持ちよくなるよね」
という提案型で誰かに役立つように発信したらいいんじゃないかなってね。

それって意外と難しいんだよ。

特に私は、基本がネガティブだから、簡単にお気楽ポジティブ用語で包むのは難しい。

でもそれを、ちゃんと考えて文章を作って発信して行けば、自分の考える力も文章力もつくんじゃないかなって思ったの。

加えて、誰も気持ち悪くしなくて済むしね。
思わず人を傷つけてしまうことも(受け取る人によってこちらが意図しない受け取り方をするからね)ゼロとは言えないけど、随分と少なくできるんじゃないかな。

 

皆も、自分の文章力を上げるためにも、感情をすぐに書いてしまうんではなく、グルっと一回考えを巡らせてみて、マイナス感情を提案型に考えてみる練習をしてみない?

思わぬ役立つ記事が書けてしまうかもしれないし、思考力、文章力がぐーんと上がるかもしれないよ?^^

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