メッセージ

仕事に『楽しい』は本当に必要なのか?という私の中の疑問を真剣に考えてみたら、もっと大切なものが見つかった

今年を振り返って、感じたことや考えたことをつらつら書くシリーズが続いています。

 

今日、私が主催するカウンセリング勉強会があります。
その中でもお話しすると思いますが、私は何か違和感を覚えた言葉を正確に把握するため、一日に一回以上は必ず辞書を引きます。
(それだけ言葉を知らないのか?ってことに気づいた人はさすがだ!w)

それでも解決しない場合は、ネットで検索をかけて、色々な人の意見を読みまくります。
そして、自分にとってちゃんと理解する形で落とし込む……そんな作業を繰り返しています。

 

これは言葉を仕事にしているという私のとても大切にしている作業。

言葉ひとつで翻弄されてしまったり、混乱してしまった人の気持ちを整理するお手伝いをしている人間には、とても大切なことだと思っているんですよね。

 

で、今年は『楽しい』ということについてもじっくり考える年になったので、今回はそれを書いてみようと思います。
(写真下より急に言葉が口語体に変わります^^;)

 

今年は『楽しい!』をしている場面をたくさん見た。
その現場に行ったこともあった。

『楽しい』ってものすごく素敵だよね。
何かを楽しんでいる人たちはとっても魅力的だとも思う。

 

それがあなたの望んでいるものなら、全然構わないんだよ。

楽しいことは素敵なこと。
仕事のほかに趣味の時間として、その時間を追うなら全然いいと思う。

 

でも……

仕事のことを考えて(仕事を得たくて)、そのために『楽しい』を追い求めるのは私はちょっと違うと思うんだ。

 

実はね。
もう何年も前の話だけど、私も今年と同じような光景を目にし、同じような体験をしたの。

人と集まって楽しい話をする。
楽しいことをやる。

その場には、これから自分がどこに進んでいいかわからない、所謂『自分探し』をしている人たちがたくさんいた。

 

そこにいた人たちは、自分を売り込みたくて仕方ないから、人のやっていることになんか正直全く興味がない。

人を応援しているフリをして、自分が応援してもらうために人を応援しているように見せている人も少なくなかった。

そんなところに、本当に人と触れ合って安らぐとか、そんな気持ちが生まれることはないよね。

 

今もその何年か前に一緒になった人、数人と付き合いが残っているのだけれど、その人たちとよく、「私たち、あの頃は迷子だったよねw」って話して笑い合う。

こういう時って、実は仕事もそんなに忙しくないからね。
持ち出しの方が多くて正直マイナス。

でもいつか仕事で挽回できると思っているから、それも惜しくない……。
そんな気がするんだよね。

で、あとで気づくんだ。
そんなのそもそも無理だったんだよねってことに(笑)

 

私ね。
これは完全に私の仕事のパターンだけれど、その楽しい世界には、私の仕事に必要なものはないって悟ったのよ。

もちろん一人でも多くの人と知り合えば
「カウンセリングを受けたいです」
って言ってくれる人に巡り会えるかもしれない。

私の伝えたいと思っていることも、伝えられるかもしれない。

実際、ほんの数人だけど、離婚問題を抱えていて、意外に重い相談に来てくれたりした。

 

でも……
私は何かがしっくりしなかった。
これが私のしたい集客の形じゃない気がしたんだ。

集客に何の形がある?
と言われちゃうかもしれないけど、私は何か違うと思った。

そのコミュニティの中でお金を回したいとも思わなかったし、そこから抜けるのが怖くもなりたくなかった。

なんか……。
地に足がついていない感じがして、本当に居心地が悪かった。

だから私は、もう、その楽しい世界に行くことはなくなったんだ。

 

今年は私より10歳以上年下の人と接する機会が多々あった。
そう、ちょうど、年頃もキャリアも私たちが迷子だったのと同じころ。

そのくらいの人たちが、今までとは違う『楽しい』ことをやっている人たちを目にして、自分もそれを味わわなきゃ置いて行かれるんじゃないかってどうしてもそこに惹かれて行く姿を見て、正直危ういなと感じたこともあった。

 

私が今年出会った人たちは、多くがこれから自営業でやって行きたいと思っている人。

自営業とは言っても、人と知り合えばその分チャンスも広がる『かもしれない』って考える気持ちはよくわかる。
だから、一人でも多くの人に会えば何かあるのかもしれないと思う気持ちもよくわかる。

でも本当に、これから仕事を伸ばして行きたいと思っている時期に、『楽しい』というところに行かなきゃダメかな?
そうやって人と触れ合って行かなきゃ、自分の仕事は伸びていけないのかな?

 

楽しいって麻薬。

楽しいって感じられるととっても高揚感があって、感じ続けていないと不安になる。
楽しい世界を見せつけられたら、そこに自分が入っていないと、なんだかとても不安になる。

でもね、そんなところで人の価値なんて決まらないよ?

 

ちゃんと落ち着いて考えてみて。

それって本当に大切なことなのかな?
今、味わわなきゃいけないことなのかな?

自分の仕事で本来やらなければいけないことを後回しにしてでも、その『楽しい』は追い求める価値があるのかな?

本当にそこに行かなきゃいけないの?
本当に大切にするものは何なの?

もっと大切なものはない?

そんな風に思いながら、私はなんだかとてもハラハラして見てた。
(他人のことなんだから大きなお世話なんだけどねw)

 

因みに、楽しいとは

気持よく明るい気分だ。のびのびと満ち足りた気持だ。

という意味。

 

私の仕事はカウンセラー。
人の悩み……とくにお金を出してまで相談しようとするくらいの悩みだし、精神薬の相談になれば生きるか死ぬかの場面なんていうのもあるくらい重たい場面が多い。

この仕事は大好きだけれど、『楽しい』っていう気持ちはやっぱりないよね。
仕事中にのびのびと満ち足りた気持ちにはならない。

 

でも一度も辞めようと思ったこともないし、カウンセラーという仕事が好きなのはどうしてだろう……?
と、じっくり考えてみたら、私はカウンセリング中に楽しいと思うことはないけれど、クライアントさんの心の中に隠されていたものを見つける作業を面白いと思っているということには気がついた。

 

で、面白いという言葉も調べてみたら

魅力ある物事に心が明るみ、目の前がぱっとひらけて晴ればれした状態だ。

 

と書かれていた。

うん。仕事に関してはやっぱりこっちの方がしっくり来る。

 

『楽しい』と『面白い』という言葉……

じっくり考えると何か違うよね?

『楽しい時間』というのは、誰かと一緒に過ごして感情で感じるもの。
『面白い時間』というのは、何か外部要因で(お笑いや映画などを観て)感じるもの。

そんな違いが浮かぶ。

 

私の感覚だけれど、
『楽しい』は一過性。
『面白い』は持続性。
そんな違いがあるような気がする。

面白いと感じたものの方が、より深いところまで探求しようという気がおきるって気がする。
ネット上では私と同じ説、逆に言っている説両方あるけれど、私はこちらの方がなんとなくしっくり来る。

 

お腹を抱えて笑うのは楽しいではなく面白い。
探究心を持つのも楽しいではなく面白い。

そんな違いもあるよね。

 

以前、あるクライアントさんがこんな言葉を口にしたことがあった。

「会社に行くのは人にも恵まれて楽しかったんだけど、仕事が面白くなかったんです。」

 

これ、とっても深い言葉だと思うの。

明らかに『楽しい』と『面白い』は違うと表現しているし、面白い仕事でなければ辞めたくなるというとってもわかりやすい例だと思うのね。

 

確かに楽しい環境は大切。
でも、この人は楽しい環境に居たにも関わらず、仕事が面白くなくて続けられなかったんだよね。

 

もちろん、楽しい場所で面白いことをできるのが一番いい。
でもそんなことってなかなか難しいって考えたら、私は仕事に関しては

楽しいことより面白いと思えることを見つける方が大切

なんじゃないかなって思ったんだ。

 

「あー、楽しかった!」って思えることってとても大切で、そんな思い出がたーくさんある人はとても幸せだとは思う。

仕事以外だったら、そういう風に思える時間をたくさん持てたらいいとも思う。

でも他の人が「楽しい!」と言っている場所に居られなかったからって、自分が寂しい人間なわけじゃないし、一人でいても、何か自分が面白いと思うことをやれていたら、それでいいんじゃないのかな。

 

自分が今作っているものって面白い?
だったら、きっともっと新しいものを作るのも、何かいいものを作る方法を考えるのも面白いと思うよ。

今、なんか乗り越えなきゃいけない問題がある?
今は苦しいかもしけれいけど、それを乗り越える方法を推理のように考えて行くのも面白いかもしれないよ?

決して楽しいわけじゃないけど、なんだかワクワクすることってあるよね。

それが『面白いこと』なんだと思う。
私はそれの方が、仕事として続けて行くには理想的なんじゃないかなと思うんだ。

 

今、自分で「これを仕事としてやって行きたい!」と言っている人たちは、みんな、それをやっていてとても面白いと感じているはず。

面白いことをやっている時間が楽しいのが一番なんじゃないかな。

そこに気付ければ、何も、他人同士が集まって作っている一過性のキラキラした楽しい場所に行かなくても、全然大丈夫って気がしない?

もう一度、自分と話してみてね。
もしかしたらあなたの中にあるあなたも、もうそれに気づいているかもしれないよ?

 

 

 

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