ここ数年、【承認欲求】という言葉をよく言われるようになりました。
この言葉には2種類あります。
他者承認と自己承認
よく、自己承認欲求という言葉を使う人がいますが、コレ、正確には間違いですね。
他者承認が他者に認められたいという気持ち。
自己承認は自分を認めている、自分に満足している、自分の理想像に近づいている
そんな感じです。
なので、承認欲求自体が他者に認められたいという言葉なので、『自己承認欲求』というのは間違い。
こういう言葉を言っている人を見たら、大してきちんと勉強していないのにこの言葉を使いたいんだなと思ってください^^
自己肯定感という、自分を認めているというもうひとつの言葉があるのですが、それとごっちゃになっちゃっているようですね。
と前置きはこのくらいにして……
この「他者に認められたい」という『承認欲求』というのは、多かれ少なかれ皆が持っているものです。
SNSなんて承認欲求の固まりですね^^;
まぁ、それが普通なので、適度な場合は何も問題はありませんが、あまりに強く「自分を認めて!」という雰囲気が出ている人の投稿は、見ているだけで痛々しく見えることってありませんか……?
実は、他人に認めてもらいたい、他人に愛してもらいたいばかりを追い求めてしまい、幸せになれない人が多数存在します。
正直、心が病んでしまう人のほとんどは、子ども時代に自分が愛を受けて育ったと感じられていないため、大人になっても、どこかに自分の欲しい愛を与えてくれる人が居ないかと求めて彷徨い続けてしまうんです。
これが依存体質な人間が作られるメカニズムです。
私も以前は依存体質な人間でしたので、その気持ちもとってもわかります。
私も家族の愛を求め続けて育ちました。
確かに不器用な親なりに愛してくれていたとは思います。
でもその愛は、私が望んでいたものとは違う愛情だったのです。
そして私は自分の意思で動けるようになってからは、親以外に自分を愛してくれる人はいないかを探し求めました。
その証拠にハタチ直前で結婚を選択したのです。
でも……、結婚した相手はやっぱり私の望む愛情をくれる人ではありませんでした。
当然です。
だって、その人は親ではないのだから(笑)
自分がどんなことを望んでいるのかなんて、そんなことは自分しかわかりません。
なのに、新しく出逢った目の前の優しい人は、今度こそ自分をちゃんとわかってくれる人だと思い、出逢えたことを心から喜び幸せに浸る。
そしてしばらくするとやっぱり違うと思い、次を探す。
依存体質の人は、そうやって次から次へと依存先を探すのです。
これが人間相手ではないこともあります。
そうすると、お酒や薬やギャンブルや買い物や、何かしら物に対して依存し、自分の寂しさを紛らわせようとするのです。
そんなことをし続けたって、幸せにはなれないっていうこと、こういうのを読んでいたらわかりますよね?
でも渦中にいる人はわからないんです。
自分を幸せにできるのは自分しか居ないということに気づけていないので、本当に幸せになる方法がわからないんです。
でも、本当に幸せになりたかったらいい加減気づいた方がいい。
自分の幸せを他者に求めている間は、いつまで経っても不幸です。
他者からの承認ばかり望んでいる間は、例え、人に褒められたとしても「まだまだ」と欲求が大きくなり続けるだけで、どこまで行っても満足はないのだから。
自分で自分を認められていないのに、他者に何を言われたって虚しくなるんだけなんです。
他人や他のものに依存し続けなくなって、十分幸せになります。
私自身、数年前まで依存体質だったけれど、そこから抜け出しとーっても生きやすくなりました。
少しのコツを知って、数ヶ月トレーニングをすれば、生きづらい自分から変わっていくことなんて簡単なんですよ。
そんな『生きづらさの理由を知り、生きやすさを手に入れる』方法も教えています。
その名も『楽に生きよう』というコンセプトから来ている『楽イキ!』というメソッド。
これを知って、とっても生きやすくなった、自分のやりたいことができるようになったという声をいくつもいただいています。
「なんだかいつも自分が幸せじゃないような気がする」
「どこか窮屈なのだけれど、それが何だかわからない」
「自分の生きづらさをどう解消していいかわからない」
などの人は、是非ご相談にいらしてくださいね。
生きやすさを追求する『楽イキ!』セッション
はコチラからお申し込みください^^