昨日、1年間、ハッキリ言えてなかったことをお話して、なんだか肩の荷が降りたというか、これで楽に話ができるようになったぞというか……
そんなスッキリ感を多少なりとも感じています。
今回はなぜ離婚を選んだのか……。の、前フリ的なお話をします(笑)
前フリでも色んなことがあったり考えたりしているので「前フリかーい!」と思わずに読んでいただけたら嬉しいです😅
昔は離婚カウンセラーとか名乗っていたときもあったし、その後は家庭問題を解決しますと謳っているカウンセラー。
「そんなヤツが離婚だと!?」
とか言いたがる人もいるのはよくわかってる。
昔も「さぞ、あなたの家は円満でしょうね」って、FBにコメントされたことがある。
その頃は円満だったから「円満ですが何か?」って答えたけどね(笑)
でも、私は家庭問題を解決する専門家だからこそ、円満離婚できたと思ってる。
じゃなかったらきっと、私は周囲のせいにして不幸のヒロインを気取って、また病んでいたかもしれないし、日々、哀しい自分を演出して誰かが優しい言葉を掛けてくれるのを待っていたかもしれない。
昔、精神薬依存(薬漬け)になったときの私はまさにそんな状態だったと思う。
これは私に限ったことではなくて、心の病になる人は大体がそう。
(不幸にも家族に病人にされてしまうということもあるので、全員が全員とは言いません)
10年も薬漬け生活をして、副作用でどんどん動けなくなり「このままじゃ死ぬな」と思って断薬を手掛けたとき……
私はその間違いに気づいた。
減薬して行きながら、離脱症状と戦いながらも、そのときに色々、色々……
本当に色々考えて、そんなことを続けていいても誰も幸せにならない。
自分を幸せにしてあげることはできないってわかったの。
精神薬をやめて、病人もやめようと決めたのは私。
それを経験してからね。
何事もきちんと責任を持って選択して行かなきゃいけないって気づいた。
幸せになるのも不幸になるのも、どんなことも自己責任ってね。
どんなことの結果も自分が選択したことに対しての結果。
(あぁ、天災等は省かせていただきますね。それは違うから。)
それをしっかり理解できることによって自分を幸せにできるってわかった。
だから私は、娘にも16歳の頃から自己責任を強く諭してきた。
また話が逸れちゃったけど……(すぐ逸れちゃうのが悪いクセ😅)
カウンセラーというものになって、断薬も経験して、
人の心理とか、幸せの原則とか、そんなものを理解するようになったから
私は間違いなく円満離婚ができた。
私はあまり家庭のことをこぼしたことがない。
最初の結婚のときはSNSなんてなかったから、親に愚痴をこぼしていたのだけれど、二人めの夫のことはほぼ愚痴をこぼしたことがない。
別に満点な夫ではなかったよ。
私が自由奔放に見えるから、リアルで夫婦を知っている人には
「人の良さそうな旦那さん」
という評判だった。
私はそれも否定をしたことがない。
でも……実は、我が家には20年以上前には夫婦の根底を覆す大きな問題が起きていた。
今思い返しても、なんでそこで離婚しなかったんだろう……って思うくらいの出来事。
もう20年以上の月日が経っているのに、そのことを思い出すと今でも胸が痛む。
それでも私はそのとき……いや、それからずっと離婚を選択しなかった。
選択できなかったのではないと思う。
離婚を選択するという頭がなかった。
別に無理にしがみついていた訳でもなかったんだけどね。
その時からバツ2になりたくないって思っていたわけでもないし(笑)
でも、私、昨年まで本格的に『離婚』ということを考えたことなかったんだよね。
(考えだしたら決断は早かったけどw)
20年前の我が家に何が起こったのか……
それは、申し訳ないけれど、公の場では言えることではありません。
どれだけの時間が経っても、無かったことにもできないし、人に軽々しく言えることでもない……
もちろんこれだけは娘の耳にも入れてない。
そんな出来事なんです。
これは私と(元)夫が二人で墓場まで持って行こうと思っています。
それくらい大きな出来事だったのよね😅
実はこれのお陰で私は精神薬を飲むようになりました。
もちろん病院にもその理由は話せないので、違う理由を話していたけれど(苦笑)
夫はそのことで私がひどい不眠症やうつになったということは自覚していると後に話していました。
そんなことが起きた夫婦だったからね。
本当によく25年連れ添ったと思います。
ってか、今でも家族風に付き合っていると思います。
結局私はそのことを許せていないのか、心の奥底ではもうとっくに夫婦として壊れていたのかもしれません。
それでも意外に仲良し夫婦をして来てはいたのよ。
それはリアルで知っている地元の友だちたちは見ているかと思います。
今回、お話をしたように『離婚』という形を取ったのは昨年ですが、実は夫婦という形はもう少し前に終わりを告げていました。
そのことについてはまた改めてお話しますね。