今回はちょっとナーバスな問題ですが、うちに相談に来たら、こう言われると思って来てくださいという意味でお伝えしたいと思います。
私は、親になる年の人が簡単に「死にたい」とか言っているのを見ると、とても憤りを感じるタイプの人間です。
私と仲良くしてくれている人の中に数人、親御さんが自殺されてしまったお子さん……というかたがいます。
その人達はみな、自分でその傷から乗り越え、そして今、とても幸せに生きておられます。
でもね……。
そこには『しなくていい苦労』があります。
親が、どんなにツラくても生き続けていたら、しなくていい苦労です。
その他人からは決して見えることのない苦労を乗り越えた上で、皆さん、幸せになられています。
『可愛い子には苦労をさせろ』という言葉があるけれど、それは意味が全然違う。
こんな苦労は、本当は味わわせちゃいけないんです。
親が勝手に死んだら、子どもは必ず苦しみます。
もちろん親だって人間。
死にたくなることもあるでしょう。
生きることから逃げなきゃいけない理由もある。
子どもを道連れにしなかっただけOKと言えばOKだけれど、でも……と考えるんです。
私が死にたくなるほどの気持ちがわからないから……だと思いますか?
私は数年前まで、何かあると死にたくなってしまうほど病んでいて、そのための薬から抜け出そうとしたときには「こんなに苦しかったら死んだほうがマシだ」と泣いていた人間です。
子どもの前で「死ぬ・死ぬ」と口にしていた、馬鹿者な親です。
元気になってから娘に「あの頃はいつも泣いていて、すぐに死にたくなってたもんね」と娘に言わせてしまうダメ親です。
でも、だったら何故私が今生きているか……。
それはやっぱり、子どものためでしかありませんでした。
私、本当に娘がいなかったら、今、この場にはいなかったと思っています。
当時はそのくらい本当に苦しかった。
いつ明けるかわからない苦しみと闘い続けるには、本当に強さが必要です。
でも私にはその強さがなかった。
逃げたかった。
解放されたかった。
夫だけだったら、「大人なんだから、なんとか頑張って生きていってください」と思った。
でも娘は……
ありがたいことに、娘は母親大好きで居てくれる。
この娘が、もし突然私が自分の力で命を絶っていなくなってしまったら、頭がおかしくなってしまうんじゃないだろうかって思った。
やっと入った大学も行かなくなってしまい、どのくらい泣き暮らすんだろうって思った。
私はこの子をこの世に生み出した責任がある。
この子をこの世に生み出してしまったのなら、私の力でこの子の運命を変えてしまう権利はない。
私の力で運命を変えてしまわないように、私も頑張って生きて行かなければいけない責任がある。
そう思ったんです。
私が今生きている理由はそれしかありません。
親は普通に行ったら子どもより先に死にます。
放っておいてもそうなのだから、それ以外の死に方を選んではいけないと思うのです。
親はさ。
子どもに元気で、いつも笑って生きてもらいたいって思うでしょ?
何があっても乗り越える強さを持ってもらいたい。
そう生きて行ってもらいたいって願うでしょ?
だったら……
何があっても乗り越える姿を親が見せなきゃいけない。
生きていくってこういうことだって教えなきゃいけないんです。
親が子どもに教えなければいけない本質的なことは、実はそんなに多くありません。
そんなに多くないひとつの中に
「何があっても乗り越える強さ」と「生き続けて行く気持ち」
があると私は思っています。
愛している人には生き続けてもらいたい……それは誰もが同じです。
親が子どもにそう願うように、子どもは親にそう願います。
愛している人も気持ちは裏切ってはいけない。
それを教えるのも親の役目なんです。
親はただ生きているだけでも、「生きなきゃいけない」ということを教えられるんです。
だから私は、うちに来たクライアントさんの中で特に『親』なると人が
「もう死んでもいいんだ」
とか
「本当は死にたい」
とか言うと猛烈に説教します。
実は……そのくらい、私自身がクライアントさんに力強く生きて欲しいって心の底から願っているんです。