ふーみんのひとりごと

自由に生きることと自分勝手に生きることは全く違う

ネット上のまがい物的なカリスマの中には、

自由に生きるためには、子どもを産んでも育てなくていい
(子育ては他の人に任せる)

的な寝言を言って人気を博している人もいる。

 

加えて、そういう風に言っている人を

自分ができない生き方をしている

と崇拝している人が多数いる。

 

もうね、吐き気がします。

 

確かにね……。

『自由』と辞書を引くと

他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。

と書かれている。

でも、日本語的に意味をきちんと考えると自由に生きるということと、自分勝手に生きるということは全く違うと思う。

自由に生きるという裏側には、必ず責任というものがついてまわるし、与えられた責任を果たしたからこそ得られる自由があるということに、バカな生き方を提唱している人たちはまったく気がついていない。

で、

「あんたたちができないことを私は実践しているのよ」

って……。

何度も言うけど、バカみたい。

いや、バカですね。

 

 

できないからしないんじゃない。
そんなこと、しようと思わないからしていないんだよって話だ。

子どもを生むということは、子どもを作って生むという自由を選択した。

だったら、育てるというのは、その自由の上に得た責任。

その責任を果たしている人たちの方が、どれだけ輝いて素敵なのかわかる?

 

自分が「子どもを生んでも育てない」なんていう暮らしができないからって、それをしている人を憧れなくていい。

っていうか、そんな人の話を聞いたら呆れてしまうくらいでちょうどいい。

子育てのために全てを投げ打って我慢しろとは言わないけれど、子育てをちゃんとできないのなら子どもを生むなんて思うな!っていうのは、声を大にして言いたい。

 

子どもに対して愛情がないとか、悪気もなく声を大にして言うとかって、どれだけ虐待なことをしているかわかっているだろうか?

 

うちには、「子どもを愛せないんです」と真剣に悩まれて相談にきてくださる人が何人もいる。

きちんと愛したいのに愛し方がわからないと思い悩んでいるそういう方々は、もうその時点できちんと愛しているのだと私は思っている。

だから悩むのだと。

堂々と「愛せないから育てない」とか「興味ない」とか言っちゃうのって本当に意味がわからない。

 

親や家族に愛されなかった子どもがどれだけ苦しんで育つのか、どのくらい影響を与えるのか、本当に微塵も考えないのだろうか。

そして、そんな女に憧れの目を向けている女たちも、本当にそれがいいと思うのだろうか?

 

誰だって、子どもが小さい頃には「子どもがいなければ」と思うことは一度や二度じゃない。

私だってそうだ。

子どもの夜泣きがひどいときは、「育児ノイローゼで子どもを殺してしまう気持ちがわかるよね」と思うし、あまりにも疲れてくると「いい加減解放してくれ」と思うこともある。

そう思うことや、本当にこの子を愛せているのか?とか悩むのと、もともと
「私は子どもを生んでも育てる気はさらさらありませーん!」
なんて大声で叫ぶのはまったく違う。

そんな人に「自分にないものを持っている!」なんて憧れる必要はまったくない。

そんな突拍子もない感覚、持っていなくていいのだから。

 

愛されなかった子どもは親が想像もつかないくらいの大きなキズを抱えて生きて行かなければいけない。

そんなことも考えられず、自分の自由を優先させたいのであれば、絶対に子どもは生むべきじゃない。

子どもはペットではないのだ。

 

そしてそんな女を崇拝している人たちは、ぜひとも一日も早く目を覚まして欲しい。

そんな感覚、持ち合わせていないのが普通であり、普通こそ幸せなのだから。

 

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