先日、Facebookで友だちの記事を見ていたら、下記の記事がシェアされていた。
これは動物の保護団体さんのブログ。
ここから譲渡した猫ちゃんが、生まれた子どもが動物アレルギーだったからと捨てられてしまったという怒りの内容だった。
私はこの記事を読んで、人間の身勝手さに本当に哀しくなった。
呆れたとか言うより、本当に哀しくて胸が痛くなった。
私はあまりキレイごとを言うのは好きではないし、このブロクでもよく怒りを書いたりしている。
だからこの「哀しい」という表現も、キレイに表現しようと思って書いているのではない。
そうではなくて、私はどうしても猫ちゃんがどう感じていたんだろうと思うことの方が強く感じてしまって、胸が痛くてたまらなくなったのだ。
私は基本的に猫があまり好きではないのと、猫アレルギーも持っているため(気づいたのは大人になってからだけどw)、猫を飼ったことは一度もない。
だから正直、どこまで猫が人に慣れるのかはよく知らない。
でも、隣の家に住んでいる猫は、お母さんが帰ってきた自転車の音がわかって、「おかえり~」と鳴くし、記事にある猫ちゃんも何度も家に戻って来たという。
それはもう自分はこの家の子で、一緒にいる人たちは家族だと思っている証拠。
なんでそんな猫ちゃんを締め出してしまえるのだろう?
猫ちゃんは、どんな思いで外に居たんだろう。
どんな思いで窓を開けてとしていたんだろう。
家には今、1歳過ぎの犬がいる。
4月の末から飼い始めたワンコ。
なのにもう1歳過ぎている。
名前は小雪。
ショップで売れ残っていて、1歳直前で出会ったワンコ。
先代犬が4月の頭に亡くなったばかりだからということと、本当はこの次に犬を飼うことがあれば、ショップからではなく保護団体から引き取りたいと思っていたこともあり、小雪を迎えるのはすごく迷った。
でも……と考えた。
以前、飼育遺棄犬の預かりをしていた経験もあるからわかるのだけど、保護団体に保護されて預かりさんのお宅にいるワンコは仮とは言え一般家庭で暮らすことができるようになっている。
対して、小雪は1年近くにショップに居て、これから先もいつまでそこに居るかわからない。
店長さんに「なんでこの子はこんなに大きくなるまでここに居られたの?」と聞いたら、そのショップは、一度仕入れたらちゃんと売れるまで責任持ってという主義の店だったそう。
だから、たまたま小雪はそこにずっと居られたけれど、違うショップにいたら、もしかしたら小雪は生きていられなかったかもしれない。
そんな色々なことを考え、小雪を迎える決断をした。
ミックスなのに、先代犬の小麦とまるで同じ掛け合わせという偶然もあったため、
「きっと小麦が教えてくれたんだね」
と家族と話して小雪を迎えた。
最初は抱かれるのも嫌いだったし、なんとなく人間に警戒心を持っていたようなところもあつた小雪が、一緒に暮らしているうちにどんどん甘えん坊になって来た。
「この子、こんな風に甘えん坊なのに、1年近くもショップのケージの中で、どんな思いで暮らしていたのかなぁ」
そんなことを家族と話す。
私はそのことを考えただけでも胸が痛くなる。
もちろん小雪はそれまで人に甘えるなんてことを知らなかったのだから、それはそれで困らない生活をしていたのかもしれない。
でも、もっと早く人と暮らして、人に甘える喜びをこの子に与えたかったって思うと、その度に胸が痛くなる。
今ではすっかり慣れて、こんな姿になっているけれどね(笑)
私はカウンセリングを教えることもしているのだけど、その場面でよく
「カウンセラーは想像力が大切」
ということを話す。
そのせいか、私の想像力は人間のみならず動物にまで働くようになってしまったのかもしれないけれど……(笑)
今回、この記事を読みながら猫ちゃんの哀しい顔が見えるような気がして、本当に哀しくて、哀しくて仕方なかった。
この猫ちゃんを捨てた飼い主は、猫ちゃんの気持ちを一度も考えなかったのだろうか。
まぁ、考えられる人だったら簡単に捨てることなんてしないとは思うけれど……。
保護団体の人は、譲渡した後の確認をもっと厳しくしなきゃと言っていた。
気持ちはわかる。
気持ちはわかるのだけれど、譲渡される側としたら、譲渡される条件がどんどんどんどん厳しくなって来て、閉口してしまう部分もある。
団体によっては、突然家に押しかけて来たりするらしいし、団体の人と言っても結局は見知らぬ人。
その見知らぬ人たちに個人情報を全部さらけ出して……中には収入まで出さなきゃいけない団体もあるしくて……。
そんなことをしなきゃならないところも少し抵抗がある。
一部の譲渡してもらった人が飼い主としてのマナーがちゃんとできてないお陰で、他の人への管理もどんどん厳しくなる。
そのお陰で、団体から引き取るのはやめてショップから買おうという声も、ネットでたくさん見た。
これじゃ本当は本末転倒だよね。
団体の人は助けたくて活動されているのに、決まりを厳しすぎるするお陰で引き取りたいと思う人が減ってくる。
それって助けられる犬や猫が減ってしまうということだよね?
それって本当は誰も喜べる形にはなって行かないってことなんだよね。
私、先日こんな記事を書いたけれど……
その中にもあるように、子どもは親に習った通りに育つ。
子どものためを思って捨てたというその親たちは、自分の子どもも動物の命を粗末にするような子どもに育ってしまっても何とも思わないんだろうか。
私は、娘が動物がとても好きだったこともあり、最初はうさぎを飼い始めた。
それからあるきっかけで小さなワンコを飼った。
娘は小学生のときにうさぎを見送り、可愛がっていた動物が死ぬ哀しさを初めて体験した。
そういうことで、命の大切さや儚さを学んだと思うし、自分より弱い立場のものを可愛がることも学んで来た。
今年の春、先住犬の小麦が死んだとき、娘はあまり散歩に連れて行かなかったことなどを大きく後悔していた。
だから小雪が来てからというもの、小麦以上に面倒を見ている。
自分の家のペットはただかわいいだけではなく、命についてたくさんの学びもくれる。
そりゃ、動物アレルギーというのが出たらどうしようと悩むのもわからなくはない。
私もアレルギー持ちだしね。
私も実はうさぎを飼ったのはいいけど、うさぎアレルギーでもあった。
でも10年半、一緒に居たよ^^
痒くなっちゃうからあまり触れなかったけれど、でもご飯あげたりお菓子あげたり……普通の飼い方はしていた。
どうしても自分の家で面倒見られなくなったら、捨てるのではなく、譲渡された団体に相談したりすればいい。
なんで、選択が『捨てる』しかなかったんだろう。
いくら考えてもその飼い主の気持ちを理解することはできないけれど……
目の前にあるものは命。
命を預かるということは、一生面倒見ると約束したも同然。
その責任は絶対に放棄しちゃいけない。
捨てられた猫ちゃんは、きっと人間に絶望しただろうな。
それでも今後、またいい飼い主さんと巡り合って幸せになって欲しいな。
そう心から願います。