最近ネットで炎上している心屋仁之助さんのブログ記事……。
子どもを叩いてしまうと悩んでいるお母さんに
「子どもは叩かれるために生まれて来たんだから叩いていいんだよ」
と答えているという内容が、ネットで炎上しているらしい。
というのを知って、ブログ記事を読んで来た。
私も親子問題を扱っているから、子どもを叩いてしまう相談はよく受ける。
心屋さんは
「子どもを叩いてもいいんだよ」
というのは、よくある対処療法ではなく根本治療するために言ったのだと言っていた。
ん……?
そのお母さんがどうしてそんな風になってしまったのか、お母さん自体がどんな環境で育って来たのかをじっくり考えた上で相談にのるのではなく、「叩いていいんだよ」とあっさり答えてしまうのも対処療法(対症療法)なんじゃないの?
心屋さんが言っている
「子どもを叩いてはいけません。子どもを叩かないようにするためには」
のような対処療法(対症療法)的なカウンセリングは私もしない。
心屋さんの記事を読んで感想を書いた記事も読んでみたのだが、その中に
「お母さんに必要なのは休養だ」
とか
「今の家庭環境で育児を手伝ってくれる人はいないのかなどを聞き取ることが必要」
みたいなことを書いているものもあったけれど、私はそれも必要じゃないと思っている。
というか私は、そこもカウンセリングで重要視してお話していない。
私がするカウンセリングは、お母さんがどんな環境で育って来たか……
そこを一番重視する。
叩いてしまうお母さんは、ほとんどが叩かれて育っている。
つまりこのお母さんは子どもの頃から、怒ると叩く母親しか見て来ていなかったのだから、母親は頭に来たら子どもを叩くものなのだという公式が自然と刷り込まれていて、そうするように作り上げられているのだ。
人間は習ったことしかできない。
足し算・引き算を習っていない子どもに、突然「2-1=?」と聞いても答えられない。
足し算・引き算ができるようになっても、九九を習っていない子どもは掛け算はできない。
人間の生き方も同じ。
子どもの頃から、それが世間的には正しいとか誤っているとか関係なく、親に習ったことを正しいと学んで行く。
そのうちそれは世間一般的には間違いなのだと頭ではわかっても、身体が自然と反応してしまう。
そんな風になっている。
お子さんに対する態度や愛情に悩んでいる人は、ほとんどそんな風に、不器用な愛情で育てられて来ているため、自分も子どもに対して不器用な愛情で接することしかできないのだ。
仕方ない。
どんな風に愛されたら安心するのかを体験したことがないのだから。
だから、私のカウセリングではそこから一生懸命クライアントと、自分自身を見つめ直す。
そして頭ではわかっていること(知識)と、知らず知らずに学んでしまって反応してしまうことを擦り合わせ、少しずつ頭でわかっていることの方に思考が行くようにトレーニングして行く。
決して「叩いてはいけないんだから」とかって無理やり矯正はしない。
だからといって、決して「叩いてもいい」なんてことも言わない。
だって……
『叩かれるために生まれて来た』と言われた子どものケアは誰がするの?
その子もまた、同じことを学んで大人になって行くのよ?
その子もまた、大人になって同じことを悩むのよ?
そんなわかりきった連鎖を「それでいいんですよ」と容認してしまうことを私はできない。
連鎖は気づいたところで切らなきゃいけない。
せっかく連鎖を苦しんで相談に来てくれたのだから、
「ここで切ろう」
と心強く思ってもらえるよう、私はアドバイスしたい。
私は叩かれる子どもだった。
怒ったときにしか叩かれなかったし、怒るには確かに理由があったはずで無意味に叩かれていたのではないから、親としてはしつけと思っていたんだろうなぁと解釈しているけれど、今の時代では虐待と言われてもおかしくないような、折檻に近いようなことをされていた。
そんな私があの記事を読んで思うのは
「叩かれたくて生まれてなんて来てないよ」
っていうこと。
「自分ではわからないけれど、そう望んで来たんだ」
と言われればそれまでかもしれないけど、私は親を育てたくなんかなかった。
そんな役目なんて欲しくなかった。
私は純粋に子どもとして伸び伸びと育ててもらいたかったよ。
私の家では両親ともに手をあげる人で、どっちに逃げて行っても「お前が悪い」と言われるから、親が怒り出すとどこにも逃げ場はなかった。
誰もかばってくれる人がいなかった。
子どもは親を選んで生まれて来るとか、まことしやかに言われているけれど、私はそんな環境を望んで生まれて来てはいない、決して。
「叩かれるために生まれて来た」
親のためにその言葉はあるのかもしれないけど、カウンセラーなら、子どものことも考えて発言したいって私は思う。
目の前の一人の気持ちを少し楽にさせて、依存させても何もならない。
相談してくれた人の家族みんなを少しでも幸せになれるような発言をしなきゃいけないんじゃないかなって私は思うんだよね。
私は『家庭問題解決』を謳っているカウンセラーだから。
いつまでもそういうことを忘れないカウンセラーでありたいって強く思う。